明応末期1499年頃、西播磨を支配した豪族、赤松村秀により鶏龍山山頂に築かれた。以後4代続いたが、天正五(1577)年、赤松広秀のときに信長の命による秀吉の播州征伐で軍門に降り開城、蜂須賀小六正勝を城番として置いた。
広秀は後に賤ヶ岳合戦などの戦功で但馬竹田城に移った。江戸時代に入ると龍野城は現在地に平山城として築かれた。一時期、姫路城に入城した池田輝政により支城として整備された。万治元年京極高知の丸亀移転に際して破却され、
その後14年間は天領となった。寛文十二年(1672)、信州飯田から脇坂安政が5万3千石で入部し、龍野城を再建したが、山麓のみを整備した陣屋形式のものとなった。
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